さて、何とか大学生になって名古屋(とはいっても都心からは遠かった)に出てきたろば青年ですが
何と高校時代のバンドメンバーもみんな名古屋近辺に住みだした事もあって、同じメンバーでバンド
活動を始めました。
 とはいっても、貧乏学生では車も無く、練習もたまにやる程度でした。発表の場はヤマハのコンテスト
がほとんどだったのですが、その頃の名古屋の音楽は熱く、雅夢の「愛はかげろう」あみん「待つわ」
アラジン「完全無欠のロックンローラー」などヤマハらしい「歌」を主体とした音楽が主流で、ちょっとは
テクニックも向上したとはいえ、ヴォーカルがおまけ程度のバンドはうまくいかない状態でした。
 学校の軽音楽部にも誘われて1年間入部しましたが、ポップスが主流で、バリバリのハード・ロッカー
には退屈に思えました。

 大学もどういう訳か、何とか卒業したろば青年・・・・次は岐阜のアパレル(紳士カジュアル)のメーカー
に就職することになりました。この会社は売上・利益の内容は良かったのですが、遅くまで仕事をしてれば
頑張っている・・・・風な古い体質があり、毎日早くても帰りは9時、月末の締め時期は売上をあげなければ
ならないため、夜中2時から3時まで出荷・・・休日も会議やら得意先の販売応援やらめちゃくちゃの状態
でした。
 こんな状態ではバンド活動なんかできなかったのですが、こんな忙しい中、なんと結婚することに
なりました(汗)。ろば青年の「暴れん坊将軍」が暴れまくったため子供(男の子)も半年で誕生しました。
嫁とは中学・高校の同級生なのですが、まずいことにその頃は他の女の子と仲良くしていたため
過去がバレております・・・・弱った事であります。
 まあそんな事はいいのですが、結婚して岐阜の寮から美濃加茂に住むようになり、会社は相変わらずの
状態の上、美濃加茂からは通勤に1時間かかる・・・・・・
2年ほどその後頑張りましたが、その会社を退社しました。
 ちょうど2人めの女の子が産まれた時期だったので、かなり迷いましたが、今の会社に勤めるように
なり、時間に余裕も出てきました。
 たまたま近くに住んでいた昔からの友達を誘ってPOWERというオリジナルのハード・ロックのバンドを
結成したのですが、なんとそのバンド24年たった今でも活動しております。

 運命の出会いはふとしたことから起きました。

 ある時、定年退職後、美濃加茂で一緒にすんでいた親父が、骨董品屋で働かせてもらっていたのですが
そこの社長がスナックを経営していて、ママがプロの演歌歌手でそこのスナックでは毎週土曜日に生バンド
(生オケ)をやっているとの事でした。そこで親父から息子(ろば青年)がギターを弾いている事を聞いた
社長が「一度、店で弾いてみないか」と誘ってくれたのです。
 その店で出会ったベーシストが「みのるさん」だったのです!

さて、次回はもうひとつの運命の出会いを紹介します。